涙が止まらない
本山町プラチナセンターで
本山町町制施行100周年記念式典が行われ
大原富枝先生の代表作『婉という女』をテーマに
土佐琵琶での演奏が初披露されました。
今でこそ園芸王国と言われる高知ですが、
その陰でこんな哀しい実話がありました。
琵琶の音色に合う気がして偶然選んだテーマでしたが
それがたまたま依頼して下さった方の故郷で
大原先生の文学館のある本山町の皆様に
聴いていただけたこと、本当にうれしく思います。
大原富枝の文章と土佐琵琶とのコラボレーション
『婉という女』
【土佐琵琶】
水はとうとうと流れゆく。
豊かに色づく実りの陰に
婉という女の涙あり。
日本最古の手掘りの港手結港の美しさも
吉野川や仁淀川、様々な川の流れを
田畑へと導くのどかな用水路の風景も
彼女の父、野中兼山あってこその景色
【朗読】
「おかげさまでそれまでは毎年洪水に見舞われる貧乏村が、豊作を楽しむ、暮らしよい村になりました。先生は百年の先までお見通しのお仕置をなされたと、村では神さまのように申します一」後に彼女が村人から聞いた言葉である。
荒れた山野は河川を中心に整備され、父上は自分の作り出した国土の美と豊饒さに感動した。父上にとってそれは一つの理想の具現であり、精魂こめて生みだした芸術でさえもあった。
【土佐琵琶】
しかし彼の、そして彼の一族が流れ着いたのは
ねたみ、そねみに導かれた、哀しく深いよどみの淵
野中婉、子孫による報復を恐れた者の手により
4歳の幼き日より40を過ぎ、もう子をなすことができないと
思われるその日まで、一族と共に宿毛に幽閉される。
【朗読】
門外一歩を禁じられ、結婚を禁じられて、四十年間をわたくしたちはここに置かれた。他人との面会を許されず、他人と話すことを許されないで、わたくしたち家族はここに置かれていた。
わたくしたち兄妹は誰も生きることはしなかったのだ。ただ置かれてあったのだ。
四十年の間に、わたくしの兄妹は次々に死んでいった。
数え年四歳で幽居に入れられたわたくしと、妹や弟は、「生きる」ということがどのようなものなのか知らない。
しかも死というものは、「生きる」ことを許されなかった人間にも、確実に訪れるものであった。
ここでは、死は、生きるということがどういうことであるかを、よく知っているものからの順で訪れた。
【土佐琵琶】
婉27歳。実に幽閉23年。
兄希三郎の病死をきっかけに訪ねてきた男(人)と文を交わす。
【朗読】
里人は勿論、野火さえもが、こっちに向って近づいてくることはなかったのに、わたくしたちを訪ねようとして、高知の城下からはるばると三十里を踏破してきた人が現れたのだ。高知の谷丹三郎…面会は許されなかったが、このときから幽居にも時が流れはじめた。二十数年、よどみに淀んで流れることを忘れていた時が流れはじめた。
【土佐琵琶】
彼の存在により生かされた婉40歳。遂に赦免の日を迎える。
【朗読】
草原を横ぎり、小松のある丘を下ってゆくと、ごうごうとただならぬ音が聴こえてきた。そこで草丘は断崖になって、川がその下を流れている。流れはそこで瀬をなして白い布を懸けたように堕ち、泡立ち、獣の咆哮のようなざわめきはそのあたりから立ちこめてくる。わたくしは言葉もなくこの妖しくも美しいものの姿に魅せられていた。一この寸時もさだまった形を持たず、一刻も停滞ることのないものの姿を、わたくしはかつて想像することができなかった。
一日も早く、一刻も早く高知へゆこう、と噴きあげるようにわたくしは考える。赦免以来、片時も心の隅から離れることのない人のことをわたくしは思っている。
一一一わたくしは生きようとしていた。
「おお、お婉どのか一」
低い声で呼ばれた自分の名が矢のようにわたくしの心に、体に刺さった。女には生涯にただ一度呼んで欲しい自分の名があるものではあるまいか。
【土佐琵琶】
水はとうとうと流れゆく。
豊かに色づく実りの陰に
婉という女の涙あり。
野中婉、閉ざされた世界の中にいながらも、心の中での恋を貫く。
赦免後は女医となって人々を助け、なおも凛と前を見据えて行き抜いてみせる。
土佐の恵みをいただく時
美しい風景に染まる時
ここに感謝し、伝え続ける









